かくてぞはなをめで。
ブログ、とっても暗くなんとなしにご心配をおかけしたりしなかったりしてしまったので、明るい内容を書く。
わたしはTwitterで、すきな存在のことを一般的な名称ではなく「この国の花さん」とあだ名で呼んでいる。理由は検索避けと、あともうひとつ。
かの刀剣男士が刀帳にて、「自己を紹介するなど……わたくしはそう、この国の花。それだけ覚えてくれればよいのです」と言っていたから。私がTwitterで何度もその言葉でかれを呼べば、ちょっとだけでもその言葉を多くのひとに覚えてもらえるかもしれないと思いながら、毎日この国の花さんについて大騒ぎしている。なんと傲慢な、と言われそうだけれど、実際推しでもなければ刀帳台詞なんてそう意識することはないだろうし、全く効果なしというわけではないのだ、これが。
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— 刀剣乱舞-本丸通信-【公式】 (@tkrb_ht) 2020年4月30日
【新刀剣男士 太刀「古今伝授の太刀(こきんでんじゅのたち)」】
平安時代末期から鎌倉時代前期の刀工、豊後国行平の太刀。地金はねっとりと潤みを帯び、大蛇(おろち)のごとし。細川幽斎から烏丸光広へ古今伝授がなされた際、共に渡されたことが名の由来。文化を愛し、愛される……この国の花。
刀帳台詞の他、公式Twitterでの新男士紹介にもこの、「この国の花」という言葉は用いられている。よく読むと意味の分からないフレーズだが、わたしはかの刀が「この国の花」であったことによって心を乱されまくってしまった。
和歌において花は『移ろい』『散る』ものとして用いられていて
— この国の実芭蕉。 (@hudoaiobasan) 2020年5月10日
平常なら千年先まで殆ど同じ姿を留める刀剣を花という存在に喩えることのおそろしさよ…
でも、廃都とかと比較してだと、人の営みとは別に、変わらず咲くものとしても描写されてるのか……
— この国の実芭蕉。 (@hudoaiobasan) 2020年5月21日
うーん、刀は植物と人(≒無常の人の営みと、それとは分断した植物の営み)とで分けるなら人に近しいものだし、やはり違和感はあるけれど
— この国の実芭蕉。 (@hudoaiobasan) 2020年5月13日
↑ここら辺が春頃のわたしのツイート。
「やまとうたは人の心を種としてよろずの言の葉とぞなれりける」というのは古今和歌集の序文である仮名序の冒頭で、本丸台詞にも採られていることから、「この国の花」がここから派生した表現であることは殆ど確実かなと
— この国の実芭蕉。 (@hudoaiobasan) 2020年8月1日
まあまあ曲解してだけれど、《和歌=葉》に例えた表現ということで
古今集から時代を遡って万葉集の話になるけど、この歌集の題の由来の一説としても仮名序にあるような「万の言の葉」を集めたからっていうものがあって
— この国の実芭蕉。 (@hudoaiobasan) 2020年8月1日
古今集のもうひとつの序文である真名序で挙げられる『続万葉集』(古今集のプロとタイプみたいなもの)というような存在からして、由来ってより→
→古今集の編者側の解釈の話では?と思うけど、そうだとしても、少なくとも「古今」と名のつくあの男士の認識としては、歌を言の葉、そこから連想して人の心を種として芽生えた植物の葉のように捉えるのは間違いではないと思う
— この国の実芭蕉。 (@hudoaiobasan) 2020年8月1日
でも、彼は「花」それは、植物の成長の段階において葉が茂ったあとにようやく芽吹くのが花であるからだと思うんですよね
— この国の実芭蕉。 (@hudoaiobasan) 2020年8月1日
人の心から生まれた歌があり、その歌が長きに渡って詠まれ伝えられてきたからこそ生まれた物語があの男士の根底にあるから
↑ここら辺が夏頃のわたしのツイート。
……とまあ、あの言葉とこの国の花さんの結び付きについては日々考えていて、一応自分なりの結論は見出したわけだ。
大して隠してることではないしむしろ数少ない己の無条件に肯定できる部分なのだが、わたしの本名は「はな(漢字表記は内緒)」だったりする。可愛い名前でしょ。わたしは元々自分の一番勝ちな要素は姓名がどちらも非常に可愛いところだと思っていたけれど、この国の花さんなる存在に出会ってからは、本当に親に感謝する羽目になった。
ガラスケース越しに綺麗だな〜って思った刀に4年も経ってこうして出会えたのも、その刀が自身をわたしの名前と同じ言葉で形容したのも、なんの奇跡?って思うよ
酔っぱらいの戯言なので意味不明かと思います
— この国の実芭蕉。 (@hudoaiobasan) 2020年11月14日
かの刀と刀剣男士とそれを取り巻く歴史文化現在未来のすべてが、和歌で詠まれる花のように可変で、自然のように長久たれと思えるもので
この垢で言うことではないけど、自分を花と思えないわたしに花という言葉を肯定させてくれたの。この国の花さん
最初のはわたしの鍵垢からの引用。
よく考えると、この国の花さんという呼び方もまた、グッズ収集とか知識の蓄積と同じく、わたしにとっては世界への(もしくは弱い己の精神への)対抗手段なのかもしれない。その名を入力するたび、自己と相手との繋がりを確認できる。それに、わたしのツイートによってフォロワーさんがその名を知ったり用いたりしてくれるというのは、矮小な自己顕示欲を存分に満たしてくれる。しかも冒頭の通り、本刃が自称したものを広めているのだという勝手な貢献の錯覚までできる。素敵!
まずい、また暗い。
本当に激重感情で、こういうこと書いてるときすら泣きそうになる程度には自分に酔いやすい性質の痛い子なので……。しかし今回はマジで明るい内容を書こうと思った。ので、以下は個人的にとても明るいお話。
アンソロジーって和訳すると「詞華集」とも呼ばれる。
華の字の理由は、anthologyという言葉の大元が古代ギリシャ語のἀνθολογία (anthologia) であり、「花」を意味する ἄνθος (anthos) と 「集めること」を意味する λογία (logia) との複合語であるから……っぽい。
(参考:アンソロジー - Wikipedia)
アンソロを作ろう!となった動機は単純にいっぱい色々なこの国の花さんを見たかったからに他ならないけれど、偶然の符合というか、この国の花さんを収集することで成立する詞華集というのはあまりに素敵では? と思った。
だからアンソロのタイトルは独断により「花あつめ」になります。(事後報告)
最近は色々な人がこの国の花さんを書いたり描いたりしてくれている気配がしてとても嬉しい。しかもそれが本になるんだぜ。最高です。
わたし自身は未だ自分が何をかくのかも決めず、版組つくってにやついたりロゴつくってにやついたりしている。InDesignもIllustratorも5億年ぶり触れるものだからちんぷんかんぷんだけれど、今覚えておきゃ就職にも役立つだろ、の気持ちだ。アンソロ、就活にも役立つ(役立ちません)。
ちなみに、わたしはちょっと自分ルールが過剰な方なので、アンソロに際しても「絶対にわたしの感情で他者の解釈や創作を否定しない」「原稿をお預かりし始めてからは病んだ言動を控える」と決めている。せっかく花をあつめるのだから、やさしい気持ちでそれらに触れていきたいと思ってのことだ。
でも多分たまにつらくなるから、そういうときは鍵垢とかこのブログにこっそり書きます。
以上。